花押と印章の歴史|武将のサインから実印・認印まで、日本の「しるし」の移り変わり
古文書に書かれた花押と、今も使われる印章(はんこ)の歴史を紹介します。花押の成り立ちと形の種類、武将の朱印・黒印の意味、江戸時代に庶民へ印が広まった流れ、明治以降の実印と印鑑登録、実印・銀行印・認印の違いまで、古文書や博物館の展示を見るときの手がかりとともに整理しました。

博物館で古文書の展示を見ると、名前の下に筆で書かれた不思議な記号が目に入ることがあります。文字のようで文字ではないその記号は「花押(かおう)」と呼ばれ、書いた人が本人であることを示すサインの役割を果たしていました。一方で、同じ展示の中に、四角や丸の赤い印が押された文書が並んでいることもあります。
花押と印章(はんこ)は、どちらも「この文書は確かに自分が出したものだ」と示すためのしるしです。日本では長い時間をかけて、この二つが入れ替わったり並んだりしながら使われてきました。本記事では、花押の成り立ちと形の種類、武将の朱印・黒印、庶民への印の広がり、そして今の実印・銀行印・認印まで、日本の「しるし」の移り変わりをたどります。
花押と印章、二つの「しるし」の役割
文書に必要だった「本人のしるし」
紙に書かれた命令や約束が効力を持つには、それを誰が出したのかがはっきりしている必要があります。名前を書くだけでは、ほかの人が同じ名前を書けば区別がつきません。そこで、本人だけが書ける、あるいは本人だけが持つ道具で押せる「しるし」が求められました。
花押は筆で書く手書きのしるし、印章は彫った材料に朱肉や墨をつけて押すしるしです。手で書くか、道具で押すかという違いはありますが、目的は共通しています。
西洋のサインとの違い
西洋では、自分の名前を筆記体で書くサインが広く使われてきました。花押は、名前の文字を元にしながらも、文字として読めないほど図案化されている点が特徴です。サインというより、一人ひとりが自分で考えた記号に近いものと考えると分かりやすいでしょう。
一方、印章は古代の中国で発達し、日本に伝わりました。国の役所が使う公の印から始まり、時代が下るにつれて個人の印が広まっていきました。
| 項目 | 花押 | 印章 |
|---|---|---|
| 作り方 | 筆で書く | 材料に彫って押す |
| 主な担い手 | 公家・武家・僧など | 役所から始まり、のちに庶民へ |
| 本人らしさの出し方 | 書き癖と図案 | 彫られた印影と、印を持っていること |
| 今の主な使い方 | ごく限られた場面 | 実印・銀行印・認印など |

印章の始まりと、古代の公の印
金印に見る古い印章
日本に関わる印章として有名なのが、江戸時代に九州の志賀島(しかのしま)で見つかったとされる金印です。「漢委奴国王」の五文字が刻まれ、中国の王朝から授けられた印と考えられています。この印は、国宝として福岡市の博物館に収められています。
金印は、日本の中で文書に押すための印というより、中国の王朝との関係を示すしるしでした。日本の社会の中で印章が文書に使われるようになるのは、もう少し後のことです。
律令の時代の官印
古代の日本で国の仕組み(律令制)が整えられると、役所の文書に印が押されるようになりました。天皇の印や、太政官などの役所の印があり、文書の正式さを示すために使われました。印を押す場所や数にも決まりがあり、印章は国の制度の一部でした。
この時代の印章は、個人のものというより役所のものです。印を管理する役目の人がいて、勝手に押すことはできませんでした。今でも、古い文書の写真を見ると、文字の上に四角い朱色の印がいくつも並んでいることがあります。
今も使われる天皇の印と国の印
古代に始まった公の印の流れは、形を変えて今も続いています。天皇の印である「御璽(ぎょじ)」と、国の印である「国璽(こくじ)」は、現在も特定の公文書に押されています。たとえば、法律の公布や、勲章とともに授けられる文書などがその例として知られています。
どちらも金属で作られた大きな印で、長い間、同じ印が受け継がれて使われてきました。日々の手続きで目にすることはありませんが、国の文書に印を押す習慣が、古代から形を変えながら続いていることが分かります。博物館の特別展などで、印影の写真や複製が紹介されることもあります。
印章から署名へ
平安時代になると、役所の印を押す手続きが次第に簡略になり、代わりに本人が書く署名が重視されるようになっていきました。その署名を崩して書くうちに生まれたのが、花押です。印章の時代から、手書きのしるしの時代へと、主役が入れ替わったことになります。










