スポンサーリンク
歴史・文化

聖ルチア祭の由来|12月13日の光の祭り、北欧の行列とサフランパン

12月13日の聖ルチア祭は、シチリアの殉教者の記念日が北欧の光の行事になったものです。この日が光と結びついた暦の理由、1764年の記録に始まる白い衣の行列の歩み、役の名前、サフランパンの焼き方、イタリアやハンガリーの祝い方まで、伝承と記録を分けて整理します。

白い衣とろうそくの冠で歩く行列の後ろ姿

12月13日の朝、暗い部屋に白い衣の列が歌いながら入ってくる。先頭の一人は、頭にろうそくの冠を載せている。スウェーデンの聖ルチア祭は、冬の北欧を紹介する写真でよく見かける光景です。日の短い土地で光を迎える行事として説明されることが多く、古い北欧の祭りのように感じられます。

ところが、ルチアは北欧の人ではなく、はるか南のシチリア島の殉教者です。ろうそくの冠を載せた姿の記録も、それほど古くはありません。今の形が全国に広がったのは、20世紀に入ってからです。

この記事では、伝承に語られるルチア、12月13日が光と結びついた暦の理由、農村の言い伝え、行列が形づくられた流れ、行列の役と歌、サフランパンの由来と焼き方、北欧以外の祝い方の順に見ていきます。伝承と、記録で確かめられる話はできるだけ分けて書きます。

スポンサーリンク

ルチアはどんな人か、シラクサに伝わる物語

ルチア(ラテン語の呼び方。英語ではルーシー)は、シチリア島東岸の町シラクサの女性として伝えられています。ローマ皇帝ディオクレティアヌスがキリスト教徒を迫害した4世紀初めごろに殉教したとされます。

よく語られる筋は次のようなものです。裕福な家に生まれたルチアは、病気の母を連れて、近くの町カターニアにある聖アガタの墓へ祈りに行きます。母が回復すると、ルチアは結婚をやめて財産を貧しい人に分けると決めました。婚約者は怒ってルチアをキリスト教徒として訴え、裁判にかけられたルチアは信仰を捨てず、最後は命を落としたとされます。

物語と史実は分けて考える

この物語を記した文書は、殉教の時代からずっと後に書かれたものです。細部は語り手によって違い、中世に広く読まれた聖人伝集でさらに整えられました。そのため、物語のどこまでが事実なのかは分かりません。

一方で、ルチアの崇敬が早い時期からあったことは確かめられています。シラクサのカタコンベ(地下墓所)で見つかった古い碑文には、ある女性が「ルチアの祝日」に亡くなったと刻まれています。カトリックのミサの古い祈りにも名前が挙げられており、個人の存在を詳しく語る史料は乏しくても、記念日そのものは古くから大切にされてきたと言えます。

「目」の聖人になった理由

絵画のルチアは、皿の上に二つの目を載せた姿でよく描かれます。これは、拷問で目を奪われた、自分で目を差し出したといった話に由来します。ただ、この話は初期の物語には見られず、後から加わったものと考えられています。

名前のルチアは、光を意味するラテン語の「ルクス」に通じます。光と視力は結びつきやすいので、名前から「目の聖人」の性格が育ったという見方があります。今でもルチアは、目の不自由な人や目の病に悩む人の守護聖人とされています。ダンテの『神曲』にも、主人公を導く力として「ルチア」の名が登場します。

ルチアをめぐる基本(出身、時代、名前、守護)
伝承と記録を分けて見ると整理しやすくなります。
スポンサーリンク

12月13日が「光の日」になった暦のしくみ

ルチアの記念日が12月13日である理由は、殉教の日と伝えられているからです。光の行事として選ばれた日ではありません。それなのに光の日になったのには、暦のずれが関わっています。

古代ローマから使われたユリウス暦は、4年に1度うるう年を置く暦で、1年の長さが実際の季節の周期より少し長くなっていました。差はわずかですが、積み重なると暦の日付が季節より遅れていきます。その結果、14世紀ごろには冬至が12月13日ごろに来るようになっていました。

つまり、当時の人にとって聖ルチアの日は「一年でいちばん夜が長いころ」に重なっていました。光の名を持つ聖人の記念日が、闇の底にあたる。この偶然が、ルチアと冬の光を結びつけた大きな理由と考えられています。

日付が重なり、残った流れ(1. 記念日の成立、2. 暦のずれ、3. 意味の重なり、4. 改暦、5. 伝統の継続)
暦が変わっても、祝日は13日のままでした。

改暦のあとも日付は動かなかった

カトリック圏では1582年にグレゴリオ暦への切り替えが始まり、日付が修正されました。プロテスタントのスウェーデンが切り替えたのは、それより170年ほど遅い1753年です。新しい暦では冬至は12月21日か22日ごろに戻りますが、祝日は13日のまま残りました。イギリスの詩人ジョン・ダンが17世紀に書いた詩の題名にも、聖ルチアの日を一年でもっとも短い日とする書き方があります。当時のイギリスもまだ古い暦だったためです。

冬至の日付とは別に、もう一つ身近な事実もあります。北半球の中緯度では、日の入りがもっとも早くなるのは冬至より前の12月上旬です。くわしくは日の入りがいちばん早い日はいつ?にまとめています。「暗さが極まる」感覚が冬至より少し前に来ることも、今の私たちが13日の行事に違和感を持ちにくい理由かもしれません。

北欧の冬の暗さ

スウェーデンの首都ストックホルムでは、12月中旬の昼の長さがおよそ6時間です。北極圏に入る北部では、太陽がほとんど昇らない時期もあります。電灯のない時代、この暗さは暮らしの全体に関わるものでした。作業のできる時間が短くなるうえ、夜の間に灯す油やろうそくも貴重です。こうした土地で、光の名を持つ聖人の日が特別な意味を持ったのは自然なことでした。

次のページへ農村の「ルッシの夜」、恐れられた長い夜
スポンサーリンク
  1. 秋の戸口に並ぶかぼちゃの明かりとかぶ、麦束
  2. 冬の木で越冬する卵のうやミノムシ、テントウムシ
  3. 酉の市で縁起熊手の店を眺める人々の後ろ姿
  4. ノートパソコンと資料、外付け記憶装置がある机
  5. 灯明と花びらの模様で飾られた夜の玄関先