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歴史・文化

感謝祭(サンクスギビング)の由来|1621年の収穫祭から国の祝日になるまでと、七面鳥の食卓

アメリカの感謝祭はどんな日で、なぜ11月の第4木曜日なのかをまとめました。1621年のプリマスの収穫祭、祝日になるまでの経緯、七面鳥やパンプキンパイが定番になった理由、パレードやブラックフライデーとの関係、先住民の視点、日本の新嘗祭との比べ方までを紹介します。

秋の食卓の中央に置かれた七面鳥の丸焼き

11月の終わりが近づくと、アメリカのニュースや映画で、大きな七面鳥の丸焼きを家族で囲む場面をよく目にします。この日が感謝祭(サンクスギビング・デー)です。日本では「七面鳥を食べる日」という印象が強いかもしれませんが、アメリカの人にとっては、遠くに住む家族が帰ってくる、日本のお正月やお盆に近い重みのある祝日です。

感謝祭の成り立ちには、17世紀の移住者と先住民の出会い、19世紀の祝日化の運動、そして時代ごとに変わってきた語られ方が重なっています。ここでは、よく知られた1621年の収穫祭の話から始めて、11月の第4木曜日に決まるまでの経緯、食卓の定番料理の意味、前後の行事、先住民の視点、世界の収穫祭や日本の新嘗祭との比べ方、日本の家庭で感謝祭の食卓を楽しむときのこつまでを順にたどります。

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感謝祭とはどんな日か

アメリカの感謝祭は、毎年11月の第4木曜日に置かれた国の祝日です。日付は固定されておらず、年によって11月22日から28日のあいだで変わります。翌日の金曜日も休みにする職場や学校が多いため、木曜日から日曜日までの4連休になることがよくあります。

家族が集まる、一年でいちばん大きな食事

感謝祭の中心は、家族や親しい人が集まってとる食事です。前日の水曜日から週末にかけては、実家に帰る人で空港や高速道路が一年でもっとも混み合う時期のひとつといわれます。クリスマスが贈り物やお祝いの飾りの行事だとすると、感謝祭は「みんなで同じ食卓を囲むこと」そのものが目的の行事だといえます。

食事の前に、一人ずつ「今年感謝していること」を話す家庭もあります。祈りを捧げる家庭、特に何も言わずに乾杯する家庭など、やり方はさまざまです。

宗教の行事か、国民の祝日か

感謝祭の起こりには、神に収穫を感謝するというキリスト教の考え方が深く関わっています。ただ、現在は特定の宗教の祝日ではなく、宗派や信仰を問わずに祝われる国民の祝日として扱われています。移民の多いアメリカでは、出身の国の料理を食卓に加えて、自分たちなりの感謝祭を楽しむ家庭も少なくありません。

第4木曜日の日付の見つけ方

「11月の第4木曜日」は、11月1日が何曜日かがわかれば簡単に求められます。11月1日が木曜日なら、その日から3週間後の22日が第4木曜日です。11月1日が金曜日なら最初の木曜日は7日になり、第4木曜日は28日です。このように、感謝祭はいちばん早くて22日、いちばん遅くて28日になります。

「最後の木曜日」と同じだと思われがちですが、11月に木曜日が5回ある年は、第4木曜日のあとにもう一度木曜日が来ます。この違いが、のちに日付をめぐる議論のもとにもなりました。

カナダの感謝祭との違い

北隣のカナダにも感謝祭がありますが、こちらは10月の第2月曜日が祝日です。カナダはアメリカより北にあって収穫の時期が早いことが、早い時期に祝う理由として説明されます。七面鳥やかぼちゃのパイを食べる点はよく似ていますが、祝日になった経緯は別々で、どちらかがもう一方をまねたというものではありません。

アメリカとカナダの感謝祭(アメリカとカナダの比較)
名前は同じでも、日付と成り立ちが違う。
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1621年のプリマスの収穫祭

感謝祭の始まりとしてよく語られるのが、1621年の秋に、現在のマサチューセッツ州プリマスで開かれた収穫の祝いです。

メイフラワー号で渡った人びと

1620年、イングランドから「メイフラワー号」という船で、100人ほどの人びとが北アメリカに渡りました。その中には、イングランドの国教会と考えの合わない信仰を守るために新しい土地を求めた人たちが含まれており、のちに「ピルグリム(巡礼者)」と呼ばれるようになります。

彼らが上陸したのは冬の初めで、寒さと食べ物の不足、病気によって、最初の冬のうちに半数ほどが亡くなったと伝えられています。

ワンパノアグの人びととの関わり

この土地には、ワンパノアグと呼ばれる先住民の人びとが古くから暮らしていました。移住者たちは、先住民の一人から、トウモロコシの植え方や、魚を肥料として使う方法、土地の食べ物のとり方などを教わったといわれます。その人物は英語を話すことができ、移住者とワンパノアグの指導者のあいだを取りもつ役目も果たしました。

翌年の秋、最初の収穫を終えた移住者たちは、数日にわたる祝いの食事を開きます。そこにワンパノアグの指導者と、90人ほどの男たちが加わったと、当時の移住者の手紙に書き残されています。ワンパノアグの人びとは、鹿を持ってきたと記されています。

「最初の感謝祭」と呼ばれるようになったのは後のこと

この1621年の食事は、今では「最初の感謝祭」として紹介されることが多いのですが、当時の人びとがこれを「感謝祭」と呼んでいたわけではありません。移住者たちにとっての「感謝の日」は、もともと断食や祈りをして神に感謝を捧げる宗教的な日で、にぎやかな食事会とは別のものでした。

1621年の収穫祭が「最初の感謝祭」として広く語られるようになったのは、200年以上たった19世紀のことです。国の祝日をつくろうという動きのなかで、ちょうどよい始まりの物語として注目されていったと考えられています。

1621年の収穫祭について、当時の様子を伝える記録はごくわずかです。食卓に何が並んだか、どんな雰囲気だったかなど、よく語られる話の多くは後の時代の想像で補われています。「こうだった」と言い切れる部分は少ないと考えておきましょう。

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11月の第4木曜日に決まるまで

1621年のあとも、北アメリカの植民地や州では、収穫や戦いの勝利などを感謝する日が、その時々に定められていました。ただし日付は州によってばらばらで、毎年決まって祝う全国共通の祝日ではありませんでした。

祝日化を呼びかけ続けた編集者

感謝祭を国全体の祝日にしようと、長年にわたって訴え続けた人物として知られるのが、19世紀の女性雑誌の編集者サラ・ジョセファ・ヘイルです。ヘイルは雑誌で感謝祭の食卓や過ごし方を紹介し、歴代の大統領や州の知事に手紙を送り続けたといわれます。

南北戦争のさなかの宣言

1863年、南北戦争のさなかに、リンカーン大統領が11月の最後の木曜日を国全体の感謝の日とする宣言を出しました。国が二つに分かれて戦っている時期に、国民がそろって感謝する日を置くことには、国のまとまりを取り戻したいという願いも込められていたと考えられています。これ以降、毎年大統領が宣言を出して、11月の最後の木曜日を感謝祭とする形が続きました。

「最後の木曜日」から「第4木曜日」へ

11月に木曜日が5回ある年は、最後の木曜日が月末近くになり、クリスマスまでの買い物の期間が短くなります。1939年、フランクリン・ルーズベルト大統領は、景気を支えるために感謝祭を1週早めようとしました。ところが、州によって従う・従わないが分かれ、感謝祭が二つある年ができるなどの混乱が起きます。

その後、1941年に議会で法律が定められ、感謝祭は「11月の第4木曜日」に落ち着きました。現在の日付は、この法律にもとづいています。

国の祝日になるまで(1. 1621年、2. 植民地・州の時代、3. 1863年、4. 1941年)
収穫の祝いが、200年以上かけて祝日になった。
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  1. 秋の戸口に並ぶかぼちゃの明かりとかぶ、麦束
  2. 資料を手に落ち着いて話し合う二人
  3. ノートパソコンと資料、外付け記憶装置がある机
  4. 冬の木で越冬する卵のうやミノムシ、テントウムシ
  5. 青い折り鶴と三角に折った紙、無地の折り紙