成人の日の由来|元服から続く大人の儀式、1月第2月曜になった経緯と18歳成人後の式
成人の日がどこから来たのかを、平安時代の元服や裳着、江戸時代の前髪落とし、戦後の青年祭から祝日の制定までたどります。1月15日から第2月曜に移った経緯、18歳成人と二十歳の式の関係、振袖や羽織袴の意味、家族ができる祝い方もまとめました。

1月の連休になると、晴れ着の若者が会場の前に集まる様子が各地で見られます。成人の日は毎年当たり前にある祝日ですが、「なぜ1月なのか」「いつから祝うようになったのか」と聞かれると、答えに迷う人も多いのではないでしょうか。
大人になったことを儀式で示す習慣は、日本では古くからありました。公家や武家の男子が冠をかぶる元服、女子が初めて裳(も)を着ける裳着、地域の若者組への加入などです。ただ、いまの成人式の形は、それらがそのまま続いたものではなく、戦後の新しい行事として生まれたものです。
この記事では、古い儀礼から戦後の祝日の制定、1月第2月曜への移動、18歳成人後の式の変化までを順にたどります。最後に、式に出る人と家族が知っておくと役立つことも整理します。祝日の日付や式の日程は年や地域で変わるので、最新の情報は内閣府や自治体の案内で確認してください。
成人の日とはどんな祝日か
法律に書かれた祝日の趣旨
成人の日は、1948年に施行された「国民の祝日に関する法律」で定められた祝日の一つです。法律では、趣旨を「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」と書いています。
この一文には、二つの要素があります。一つは、本人が大人になったことを自覚すること。もう一つは、周りの人がその若者を祝い、励ますことです。成人の日は、本人だけの記念日ではなく、地域や社会が若い世代を迎え入れる日として作られたといえます。
祝日と成人式は別のもの
よく混同されますが、「成人の日」という祝日と、自治体が開く「成人式」は別のものです。祝日は法律で決まっていますが、式を開くかどうか、いつ開くか、誰を対象にするかは、各自治体が決めています。
そのため、成人の日当日に式を開く地域もあれば、前日の日曜日に開く地域もあります。雪の多い地域や、帰省する人が多い地域では、お盆や5月の連休に開くこともあります。「成人の日=成人式の日」とは限らないので、案内状や自治体の広報で日程を確かめるのが確実です。
| 項目 | 成人の日 | 成人式 |
|---|---|---|
| 決めている主体 | 国(祝日法) | 主に市区町村 |
| 日付 | 1月の第2月曜日 | 地域ごとに決める |
| 対象 | 特に決まりはない | 地域ごとに決める(多くは20歳の学年) |
| 名称 | 成人の日 | 成人式、二十歳の集いなど |
古い成人儀礼1|男子の元服
冠をかぶることで大人になる
元服は、主に奈良時代から平安時代にかけて、公家の男子の間で行われるようになった儀礼です。「元」は頭、「服」は身に着けることを意味し、頭に冠をかぶることを指していました。それまで子どもの髪型だった少年が髪を結い上げ、初めて冠をかぶることで、大人の一員として扱われるようになりました。
儀式では、冠をかぶせる役の「加冠(かかん)」と呼ばれる人が立てられました。加冠役には、一族の有力者や、その家と結びつきを強めたい相手が選ばれることが多く、元服は家同士の関係を示す場でもありました。年齢はおおむね十代前半から半ばで、家の事情や政治的な理由で早めたり遅らせたりすることもありました。
名前と装いが変わる
元服では、外見だけでなく名前も変わりました。子どもの頃の呼び名である幼名をやめ、大人としての名前を名乗ります。武家では、加冠役(烏帽子親)の名前から一字をもらうことがあり、名前そのものが主従や後ろ盾の関係を表していました。
武家社会では、冠の代わりに烏帽子をかぶる形が広まりました。やがて江戸時代になると、町人や農民の間でも、前髪を剃り落として大人の髪型に改めることを元服と呼ぶようになります。身分や時代によって中身は違いますが、「見た目と名前を変え、大人として扱われる」という骨組みは共通していました。

古い成人儀礼2|女子の裳着と、地域の習わし
裳を着け、髪を上げる
女子の成人儀礼として知られるのが、平安時代の公家社会で行われた裳着(もぎ)です。裳は腰から後ろに長く引く衣で、これを初めて身に着けることで大人の女性になったことを示しました。腰ひもを結ぶ役は、一族の中で地位の高い人などが務めました。
裳着と同じ頃に、垂らしていた髪を結い上げる「髪上げ」を行うこともありました。年齢はおおむね十代前半で、結婚の準備が整ったことを示す意味合いも持っていました。のちの時代には、歯を黒く染めるお歯黒や眉の化粧が、大人の女性や既婚の女性のしるしとして使われるようになります。
庶民の成人は「仲間入り」で示された
公家や武家の儀礼とは別に、各地の村には、若者が一定の年齢になると若者組(若衆組)に入る習わしがありました。若者組は祭りの担い手や夜回り、災害時の手伝いなどを受け持つ集団で、そこに入ることが一人前として認められることを意味していました。
また、決まった重さの米俵を担げるか、一日にどれだけ田を耕せるかといった力や仕事の腕を試す習慣が伝わる地域もあります。こうした習わしは土地ごとに違い、呼び名や年齢もさまざまです。共通しているのは、儀式の形よりも「村の仕事を担える人として迎え入れる」ことに重きが置かれていた点です。











