節分の由来と過ごし方|豆まきの手順、恵方の決まり方、恵方巻と柊鰯の意味
恵方と恵方巻:方角の決まり方から食べ方まで
恵方(えほう)とは、その年の福をつかさどる神である歳徳神(としとくじん)がいる方角のことです。陰陽道の考え方に由来し、その方角に向かって物事を行うとよいとされてきました。
十干で四つの方角に決まる:西暦の下一桁でわかる
恵方は、毎年違う方角に動くように見えますが、実は四つの方角しかありません。その年の十干(甲・乙・丙……)によって、次のように決まっています。
| 西暦の下一桁 | その年の十干 | 恵方 |
|---|---|---|
| 4、9 | 甲、己 | 東北東やや東(甲の方位) |
| 0、5 | 乙、庚 | 西南西やや西(庚の方位) |
| 1、3、6、8 | 丙、辛、戊、癸 | 南南東やや南(丙の方位) |
| 2、7 | 丁、壬 | 北北西やや北(壬の方位) |
十干は10年で一巡するので、西暦の下一桁を見れば恵方がわかります。たとえば、2027年は下一桁が7なので北北西やや北、2028年は8なので南南東やや南です。南南東の年が他より多いのは、十干のうち四つがこの方角に割り当てられているためです。
「東北東やや東」という言い方が細かいのは、方角を十二支と十干などで24に分ける方位の、一つ分の範囲を指しているからです。「だいたいこのあたり」と思って向いて問題ありません。スマートフォンの方位磁針を使うと楽に確かめられます。
恵方は巻き寿司だけのものではない
江戸時代には、正月に恵方の方角にある寺社へ参る「恵方詣り」が行われていました。今の初詣の前身の一つとも言われます。つまり恵方は、もともと節分や太巻きに限った考え方ではなく、「新しい年の吉の方角」を指す言葉でした。
恵方巻はどこから来たのか
恵方巻は、節分の日に恵方を向いて太巻きを食べる習わしです。起こりについては、江戸時代末期から明治にかけて大阪の商人や花街で行われていたとする説がよく知られますが、はっきりした記録は多くありません。昭和の時代には、大阪の海苔や寿司の業界が宣伝に取り組み、関西の一部で知られるようになりました。
全国に広がったのは、コンビニエンスストアが節分の商品として取り上げた、平成に入ってからです。1980年代の終わりごろに一部の地域で売り出され、1990年代の後半に全国へ広がったとされます。「恵方巻」という名前が定着したのも、このころからです。
そのため、昔からの家の行事として受け継いでいる人は、それほど多くありません。比較的新しい習慣だからこそ、関西以外の地域の人に「子どものころはなかった」と感じられるのです。
言い伝えられている食べ方
よく言われる作法は次の三つです。
- 太巻きを切らずに一本持ちます。「縁を切らない」という意味が込められています。
- その年の恵方を向きます。
- 願いごとを思いながら、食べ終わるまで黙って食べます。話すと福が逃げるとされます。
具は七福神にちなんで7種類にする、といった言い方もありますが、家庭で作るなら無理にそろえる必要はありません。
ただし、太巻きを一度に頬張るのは、高齢の方や子どもにとって危険です。切らずに食べるのはあくまで言い伝えなので、飲み込む力が心配な人には切って出すべきです。一本を食べきれない場合も、小さめの細巻きや、切ったものを少しずついただく形で問題ありません。
大量に作られて売れ残る食品ロスが、毎年話題になります。店で買うなら予約する、食べる分だけ買う、といった形が、行事を気持ちよく続けることにつながります。
柊鰯と節分の食べもの
節分の飾りとしてよく知られるのが、柊鰯(ひいらぎいわし)です。

鬼が嫌うとされる二つのもの
柊鰯は、焼いた鰯の頭を柊の枝に刺し、玄関の戸口に飾るものです。柊の葉のとげが鬼の目を刺し、鰯を焼いた強いにおいと煙で鬼を遠ざけると説明されます。地域によっては「焼嗅(やいかがし)」とも呼ばれます。
においや鋭いものを戸口に置いて、悪いものを入らせないという考え方は古いものです。平安時代の『土佐日記』には、正月の門飾りとして柊となよし(ボラの幼魚)の頭を飾るようすが書かれています。形は違いますが、柊鰯の先祖といえる習わしです。
飾る時期や片付ける時期は土地によって違います。節分の日から翌日まで、2月末まで、次の節分まで飾るなど、幅があります。今の住まいでは、鰯を外に置くと猫や鳥が寄ってくることがあるので、玄関の内側に飾る、柊の枝だけを飾る、紙で作った飾りにする、といった形を選ぶ家も増えています。処分は、紙に包んで塩を振って捨てるか、神社の納め所に納めます。神社によって受け付けないこともあるので、事前に確認します。
節分に食べるもの
恵方巻のほかにも、節分の食べものは地域ごとにあります。
| 食べもの | 主な意味や地域 |
|---|---|
| 鰯 | 西日本を中心に、焼いて食べる。においで邪気を払う |
| 節分そば | 立春の前日を大晦日と見て、年越しそばとして食べる |
| こんにゃく | 体の砂を出す「砂おろし」として、四国などで食べる |
| けんちん汁 | 関東の一部で、節分や冬の行事に食べる |
| 福茶 | 福豆に湯を注いで飲む |
こんにゃくも節分そばも、一年の体をきれいにして新しい年を迎えるという、年越しの意味を持っています。今では少し目立たなくなった習わしですが、節分の性格をよく示しています。年越しそばの話は除夜の鐘と年越しそばでも取り上げました。
寺社の節分祭と節分の厄払い
各地の節分行事
節分には、多くの寺社が行事を行います。古い形を残すものとして、京都の吉田神社の節分祭は、方相氏が登場する追儺式で知られます。京都の壬生寺では、壬生狂言の節分の演目が奉納されます。これらの行事は、宮中の追儺がどんな形だったのかを想像させてくれる貴重な機会です。
大きな寺社では、その年の年男や年女、著名人が舞台から豆をまく行事が行われ、多くの人でにぎわいます。日程や時間、参加の方法は年によって変わるので、出かける前に各寺社の公式の案内で確かめてください。一般的な参拝の作法は神社と寺の違いと参拝の基本をご覧ください。
厄払いとの関係
節分は、立春を年の始まりと見る考え方から、厄払いの節目でもあります。厄年の人が節分の前に厄除けの祈祷を受ける習わしは、今も残っています。「厄年の数え方は節分を境にする」と考える寺社もあり、案内の書き方は寺社によって違います。
地域によっては、豆を紙に包んで体をなで、厄を移したあと、辻に落として振り返らずに帰るといった民間の厄払いも伝わっています。
禅寺では、立春の朝に「立春大吉」と書いた札を門に貼る習わしがあります。この四文字は、縦書きにすると左右対称に見えます。入ってきた鬼が振り返って札の裏を見ても同じ字に見えるので、「まだ家に入っていない」と思って出て行くという話が語られています。節分が終わった翌朝の行事として、この札を貼って新しい春を迎えるわけです。
まとめ
節分は、立春の前日という季節の境であり、古くは年の境でもありました。宮中の追儺が寺社と庶民の行事に変わり、豆まきや柊鰯が生まれ、平成に入って恵方巻が加わりました。今の形は、長い時間をかけて積み重なったものです。
守るべき大切なことは、安全に、無理なく続けることです。5歳以下の子に硬い豆を渡さない、太巻きは必要なら切る、集合住宅では外へまかない。この三つを押さえれば、あとは家ごとの形で十分です。
最初の一歩として、今年の節分の日付と、西暦の下一桁から恵方を確かめてみてください。そのうえで、まく豆と食べる豆を分けて用意し、奥の部屋から玄関へ向かう順番を家族で決めておくと、当日の段取りが楽になります。
よくある質問
節分はなぜ2月3日とは限らないのですか?
節分は立春の前日で、立春は太陽の位置をもとに決まるためです。地球が太陽を一周する時間はちょうど365日ではないので、立春の日が年によってずれ、節分も2月2日になる年があります。2021年と2025年は2月2日でした。
豆はいくつ食べればよいですか?
年の数、または年の数より一つ多く食べる形が広く知られています。一つ多いのは、新しい年の分を先に取り込むという考え方によるものです。数が多くて食べきれないときは、豆を湯のみに入れて福茶にする方法もあります。
小さな子どもと豆まきをしてもよいですか?
消費者庁は、5歳以下の子どもには硬い豆やナッツ類を食べさせないよう注意を呼びかけています。まいた豆を拾って口に入れることがあるため、個包装の豆をまく、紙で作った豆を使うなどの工夫をして、終わったらすぐ片付けます。
恵方巻は昔から全国で食べられていたのですか?
全国に広まったのは比較的新しく、1990年代後半ごろからです。大阪周辺の風習が起こりとされますが、起源にはいくつかの説があります。一本丸ごと無言で食べるのは言い伝えなので、喉に詰まらせないよう切って食べてもかまいません。
柊鰯はいつ片付ければよいですか?
決まりはなく、節分の翌日に外す、立春を過ぎたら片付ける、2月末まで飾る、一年飾るなど地域や家によって違います。神社の納め所に納める、紙に包み塩を振って処分するといった方法が一般的です。










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